修行

寿司職人になる道といえば、寿司店に入って小僧から下働きをして仕事を覚えていくというのが今までのスタイルだったはずだ。しかし、現在では寿司学校という場所で寿司の握り方から全部、手取り足取り教えてもらって寿司職人になるらしい。そして今回、そういう寿司職人で作った寿司店がミシュランガイドに掲載されたと言ってニュースになっていた。
そんなことから、長い下働きは無意味だとか、雑用するより最初から寿司を握ったほうが早くうまく寿司を握れるようになる、といったことなどがネットでは言われているようだ。

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そういえば厚切りジェイソンさんが日本の寿司の修業は非効率で無意味だと言っていたような。ネットで検索すればいいとか。でも、ネットってUPする人がいるからサイトが存在するわけで、寿司職人がそんなことする暇あるのかななんて思ってましたが、それと同じようなことが言われているようですね。

昔の徒弟制度というか若いやつに下働きをやってもらう制度というのは、仕事を一つ一つ覚えていくということだけではなく、寿司業界の一つのシステムだったと思うんです。
とある職人が独立したとします。新しい店を構えるには、寿司を握れる職人ももちろん必要ですが、雑用をこなしてくれる小僧も必要なわけです。そして小僧も一人前になったら今度は独立して新たな小僧を雇う、というふうにうまく回りながら寿司業界は現在まで生き続けてきたんだと思います。
小僧として扱われる制度は決して悪くはなく、いつかその小僧に助けられる日がやってくるんです。

今回は寿司学校で学んだ人の店ということなので、店の人間関係が縦より横に近いのかなと思います。こういうのはチェーン展開する店が合っているのではないかと思いますが。つまり、古くからある寿司店と寿司学校を出た職人が握る店は全く違う店であり、両方ともニーズがある限り存在するでしょう。
寿司学校を出た職人がいる寿司店はどちらかというとレストランに近い感じがします。だからミシュランに掲載されたのかなと。お祝いなどの祭事にはもちろん古くからの寿司が食べたくなりますね。私たちも使い分けていくことになるかもしれません。

どちらも行きつく先は同じの寿司職人だと考えたら、いつ失敗をして学びを得るかという問題でもあります。徒弟制度の寿司職人はデビューするまでにほとんどの失敗をやりつくしていると思いますが、寿司学校の寿司職人は、その営業の中から基礎的なことも学ぶことが多いと思います。そして顧客が離れていくことがどれだけ重大なことかということも。そういう店には太い客はあまり来ないかもしれませんが。

私が思うには、カウンターの寿司屋というのはにぎりのうまさや仕事の美しさも値段に含まれていると思うし、第一寿司という食べ物を用いたコミュニケーションでもあると思います。うまい会話も必要かもしれませんし、なんといっても察する能力が必要でしょう。結局人間力だと思います。

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これはその人のセンスもあるかもしれませんが、やはり苦労してきた人のほうが話に説得力があるのは事実でしょう。寿司学校を出ても苦労はあるでしょうけれど。
寿司職人になるにもいろいろと選択肢ができてきたのはいいことだと思います。
寿司学校の人は日本でやるといろいろ言われちゃうから嫌だと思ったら技術を覚えて海外に飛び出していけばいい。引く手数多かもしれませんよ。