相撲

もう、ずっと前、という装飾語が似合うようになったかもしれないmixiの全盛期のことだが、とあるコミュニティーの栄枯盛衰というか、コミュニティーが生まれてから無くなるまでというその経過をうまく説明したものがあった。

どういうものかというと、

  • 面白い人たちが面白いことを始める(コミュニティーを立ち上げる)。
  • その面白い人たちが注目を浴びてコミュニティーの知名度が上がる。
  • コミュニティーの参加人数が増える。
  • 新しく参加した人たちがコミュニティー内で権利を主張し出す。
  • 最初にいた面白い人たちが追いやられてしまい、コミュニティーに顔を出さなくなる。
  • おもしろかったコミュニティーがつまらないものとなり、そのコミュニティーは参加人数が多いにもかかわらず過疎化する。
  • コミュニティーが終わる。

というものだ。
実にうまく表現できていると思う。

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これを、例えば移民の問題に置き換えてみると、「新しく参加した人たちがコミュニティー内で権利を主張し出す」というところが、文化的な衝突が生まれているというところだと言える。
モンゴル出身の横綱たちとの軋轢は、もしかしたらこの文化的な衝突として置き換えてみることができるのではないかと思う。

まぁ、これは移民の問題ではないのだが、異文化間の問題で、「かわいがり」という行為も少し曲がって伝わっている可能性もある。
相撲とか横綱のあり方とか、本当の意味で理解していない可能性もあるし、それでも表面上は問題ないようにみえるのも問題なのかもしれない。
横綱は英語に訳すとスモウチャンピオンてことになるのだろうが、チャンピオンというのは横綱ということの意味の一部にすぎない。

そうであるならばなぜ外国の人を力士として認めるんだろうと疑問に思うんだけど、間口は狭いが一応外に開かれているというアピールにも見えなくもないが、一番の理由は、高見山関の成功があるんじゃないかと思う。
丸八真綿のCMは昔のファンならみんな覚えているだろうし、愛嬌のある人柄でみんなに愛された力士だった。
彼が外国の人に相撲界への入口を開いた張本人なんだろう。
ただ、あの時はモンゴル相撲からの刺客がこんなに強いとは思ってなかったと思うが。

今現在は、相撲協会、貴乃花、モンゴル出身力士の三つ巴の戦いの様相を呈しているが、これはいったいどのような収束の仕方をするのだろうか?
相撲には本当に多くのファンがいるので、はやく誰かがまとめて、面白い相撲を見せてほしいと思う。
やっぱり相撲界の力のある年長者が出てきて治めるというのが、一番の近道のような気がするけどなぁ?

ところでその役をやれる人って誰がいるんだろう???




これからの日本ではこのような問題が頻発して起こるのではないかと思う。
そして日本人は争いごとを好まないから、mixiの理論でいくと、最初にいた人たちとして日本人は追いやられていっちゃうような気がしてならない。

やっぱり、日本の社会って特殊ですよね?

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