恵方巻き

子供の頃、節分で撒く豆がもったいないから、鬼は外で一個、福は内で何個か食べる、という1人節分をしていたのは私だけではないはずだ。
食べ物を粗末にすると怒られた思い出がある。
部屋にまいた豆を掃除機で吸うのはホントに勿体ないと思う。

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最近になって、セクハラ、パワハラなどがあり、労働環境がとりわけ悪い職場のニュースが多くなっているようだ。
きっかけは電通の例の事件であり、そこから何かとブラック企業という言葉があちこちで聞かれるようになった。言葉自体は昔からあったが、あの企業が、という会社がそういう体質だったということが知られるようになってきたと感じる。

コンビニバイトという業種でも、セブンイレブンでのバイトに対するペナルティとして罰金を徴収していたことが公になり、ひどいオーナーがいるもんだな、なんて思っていたところ、2月に入って、例の恵方巻きのシーズンになり、そのノルマをアルバイトにも課しているということが知られるようになった。

幸せを呼ぶとか縁起物の恵方巻きなのに、これでもって不幸になるとは言わないまでも苦しい思いをしている人がいるなんて、なんという不条理なんだろう。世間の「鬼」をすべて背負ったような気持で「ご一緒に恵方巻きはいかがですか?」なんて聞いているのだろうか?

でも、キムタクでもないがちょっと待てよと思う。
これって炎上マーケティングにならないだろうか?それともステマ?ステルスマーケティングとはちょっと違うかもしれない。
もしかして、これって現代の「泣き売」なんじゃないのだろうか?



「泣き売」とは何かというと、露天商の商いの仕方の一つで、相手の情けを買ってそれを購買に結び付けるという手法である。
というのは、昔、ビートたけしさんがラジオかなんかで浅草にいた露天商の話をしたことがあって、それを今も覚えているのでちょっと思い出しながら書いてみようと思う。

まず露天商がいて、万年筆を売っているとする。粗末な台の上に並べているだけだ。
そこにサクラ役の人がやってきて、どうしたんだい?などとその露天商と会話を始めるのだ。
「いやね、勤めてた工場が火事で全部焼けちゃってね、すべて灰になってしまったんだけど、残った製品を社員で分けたんだ。うちには女房と子供が腹をすかして待ってるし、この万年筆だけでもどうにかお金にならないかと思ってね。」
なんて、さくら役の男と会話をしていると、だんだんと人が集まってきた頃合いを見計らって、
「おぉ、これはメーカーもんのちゃんとした万年筆じゃねぇか。ほれ、ちゃんと書けるし悪くねぇや。よし、買ってやろうじゃねぇか。なぁ、みんな!」
というようなお涙ちょうだいと言えるような物語をかたって、物を売る形態の商売を「泣き売」というのである。

この物語の万年筆というのが、なんかものすごく団塊の世代の若かりし頃、というような印象だし、メーカーものというのが、すごく曖昧なんだけどちゃんとしてそうで詐欺臭い感じが、自分で書いていてとてもいいと思った(笑)そして、このような物語を書いているとなんだか江戸っ子言葉になるのは不思議だ。
それほどうまい話でなくて申し訳ないが。


このコンビニのアルバイトが恵方巻きのノルマを課されているというニュースが、世に出てみんなの知るところとなったので、アルバイトが酷使されてかわいそう、私が一つ買ってあげようかな?と思う人がもしかしたら増えるかもしれないと思った。
アルバイトがいじめられているというニュースが出るたび、これがお涙ちょうだい物語となって、恵方巻きが売れるのだ。
これって「泣き売」なんじゃないの??



もし、今年の恵方巻きの売り上げが前年比何パーセントかアップした、とかいうニュースが入ってきたらどうしよう?
企業のほうはニンマリといった感じだろうか?

みんなやさしいなぁ、そんな感想を私は持つだろう。

ちなみに私は一度も恵方巻きを節分に食べたことはない。
太巻きは大好きだけど。

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