車屋の師弟関係

おれの親父は車のディーラーに勤めていた。車の修理や納車された車にいろいろなパーツを取り付けていたりした。大家族の末っ子に近い生まれなので、学校を卒業後すぐに働き出して、最初の頃はスズメの涙ほどの給料しかもらっていなかったらしい。それでも会社のまとめ役っぽい位置にいたので、定年後も働き、もっと居てもらいたいけど周りに示しがつかないからという理由で退社した。最後のほうは会社を二代目が継いだが、初代の社長とは良好な関係を築いていたようだ。

その初代の社長が昨日亡くなったらしい。98歳なんだそうだ。いろいろな不思議な出来事が起こっていたがここで書くのはよそうと思う。なんと90歳くらいでちゃんと車を運転していたようだ。なんか生命力が違うなといつも思っていた。その内免許は自分で返納することになるが。ちなみにこの「おいちゃん」(いつもこう呼んでいたので)におれは名前を付けてもらったらしい。

子供のおれが言うのもあれだが、親父は本当によく働いていたと思う。会社は家から近かったけど、毎日11時間は帰ってこなかった。週休は一日だ。今ならそんな職場はブラックだと話題になるのだが、そんな種類の愚痴は聞いたことはない。社長とも良好な関係だったしある種の責任感もあったと思う。

二人とも引退してからの話になるけど、社長の自宅はずっと昔は自転車も取り扱っていたので、一階が自転車屋になっていたのだが、90歳を過ぎてからも自転車のパンク修理の依頼があればやるのだという。お金は充分すぎるくらいあるし、お金儲けが目的ではないが、田舎で町内にはパンク修理してくれるようなお店はなく、ある種の人助けという意味合いもあるし、今までお世話になった世間への恩返しという意味もあるんだろうと思う。
親父は社長の家の前を通りかかった時にパンク修理をしていたら、車を止めて代わりにやってやるんだといっていた。目が少し悪いらしいので、あるときにはパンクの修理をしてほしいと電話がかかってくるとも言ってた。そんな時でももちろん行って無償でやってあげるのだとか。小さなことだけど、おれはこのエピソードがすごく好きなのだ。

そして社長も「ありがとう」といって本当にニコニコと喜ぶんだそうだ。昔は怖い感じの人だったが、現役を退いてから本当に性格が丸くなったといわれていた。二代目が大成功したのでその話を聞くのが大好きだったとか。

今年の正月に帰省した時においちゃんに会ってきた。今思えばあれが最後になったのか、と思うとなんだか不思議な感じさえする。現実感がない。彼はやっぱりニコニコしていたという印象が残っている。今まで生きてこれたのはおれの親父と社長が巡り合った結果なのだと思うと不思議なもんだ。間接的に直接的にも、ものすごく世話になっている。

この場所からであるが、どうもありがとうございましたと心から思う。
そして、おれにも親父と社長の師弟関係のようないい関係を作れる上司というか仕事関係の人との巡り合わせはないものかと切に思う。親父が羨ましい。

おいちゃんどうもありがとうね。