メロイックサイン

今、自分がここに居ることがどんなに奇跡的なことで尊いことなのかということを、痛感するような出来事が人生においてたまに起こることがある。
それは、あまり歓迎される出来事ではない。

今日、一人の天才ギタリストがすでに別の世界に旅立っていたことが明らかにされた。

2017年ははっきり言って、大御所のサポートというか前座ライブが多く、下積み時代というべきものだっただけに、2018年の飛躍的活動が期待されていた矢先の出来事である。年末のyui-Metalのライブの欠席という前代未聞の状態を乗り切った後だけに、なにか重苦しいものを感じてしまう。



若くして燃え尽きてしまうミュージシャンは意外に多い。
その音に、演奏に、すべての感情を、魂を注ぎ込むという作業は、肉体的寿命とは別の何かエネルギーみたいなものを減らしてしまう作業なのだろう。
それを運命と言ってしまえば簡単なことだが。

藤岡幹大さんのことを知ったのは、BABYMETALのライブを見てからだ。私はBABYMETALの藤岡さんしか知らない。
背が低いけれど大きな手をしていて、他人が弾くフレーズは絶対弾いてやんない的な、ある意味変態的なギタリストだと思う。もちろんいい意味で、ある。
あまりにもにこやかに楽しそうにギターを弾くもんだから、もしかしたらギターって簡単なのかもしれないと、いきなり7弦のギターを買った人もいるのではないかと思うがどうだろう?

2017のサマーソニックの神バンドのソロ回しは背筋に電気が走ったかと思うほどカッコよかった。
聴く機会があればぜひ聴いてみてほしい。

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藤岡さんはまめにツイッターを更新されていて、過去のつぶやきなどを亡くなられた後でも見ることができる。
ツイッター社がサービスをやめない限り、そのツイートたちは永遠にそこにあるのだ。URLは住所だ。そこに行けば藤岡さんがいる。道に迷ったらグーグルさんに尋ねれば住所を教えてくれるだろう。
何が言いたいかというと、もし人が亡くなっても、インターネットの電脳の世界では生き続けているような状態になる。これって、意図してなかったすごいことなんじゃないかと思うことがある。
藤岡さんの子供さんが大きくなって、自分のお父さんのことが知りたいと思ったら、インターネットのアーカイブを調べればいくらでもその雄姿を見ることができるのだ。
そして、もしかしたらギターを手に取るかもしれない。
その時には大村さんはあのギターを一時的に預かっていた、ということになるのだろう。

一般の人でもネットに自分が歌った歌や、写真などをUPすると、それはたぶん電脳世界に永遠に残る物になるのかもしれない。
ミクシィなどのSNSは、その人が亡くなれば、それはそのお墓となるのかもしれない。命日にはみんなが訪れて一言残していく、みたいな感じで。

もしかしたら、人類はある意味での永遠の命を獲得することができたのかもしれない。

そんなわけで、ネットの世界にはその人の情報が溢れているのに、亡くなったとか言われてもなかなか現実感がわかず混乱してしまう。

もちろん私も今は混乱している。



いろんなことを考えてしまうなぁ・・・



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藤岡さんが所持していたギターは大村さんが引き継ぐということが決まっているらしい。
次のライブ、どこかで大神様こと大村孝佳さんが藤岡さんから受け継いだあのギターでギターソロを弾いたとしたら、ちょっとどういう感情が自分にわいてくるのか想像できないというか、どっちの方向にどのように自分の感情が向かうのかということも全くわからないし、そもそも自我を保てる自身がない。

公式ツイートも出たことだし、BABYMETALは女の子3人のユニットだったものが、神バンド含めてのその全体指すようなイメージに変わってきたのだろうと思う。
それは全く正しい変化だと思うし、神バンドのメンバーも苦楽を共にしてきて、su yui moa同様に替えがきかなくなってきたということなのだろう。



それなのに・・・・