評判の良い病院

評判のいいお医者さん探しに困った過去

私は九州の田舎から上京してきた者なので、こちらにアパートを借りた時には、本当に言葉通り右も左もわからない状態だった。毎日が冒険のようで楽しかったし、近所を散策するのも一つの楽しみだった。でも、一つ困ったことがあった。それは行きつけの病院が無くなってしまうということだった。

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当時は若くて病気知らずだったので、病院自体それほど行くことはなかったのだが、いざ調子が悪くなるとどこの病院に行っていいかわからなくてとても困った思い出がある。

今考えるとどこでもよかったんだと気付く。近所の行きやすい病院でよかったんだと。

どうせ見てもらうなら評判のいいお医者さんがいいと思い、いろいろ探していたがそんなに見つけられるわけもなく、評判の立つほどいいお医者さんなんてそれほどいるわけもなく、それかといって評判の悪いお医者さんもそれほどいるわけもなく、標準に近い医療を各病院とも提供していると考えたら、どこの病院にかかってもそれほど違いがないことに気付いたのだ。

それでもお医者さんの個性に合う合わないとかはありそうだが、それはもう好みなので。

とある地元のご老人との評判のいいお医者さんについての話

今仕事をしている地元と呼びたい地域の70歳は超えているだろうという地主さんのお宅にお邪魔して、ガラス掃除をしていたときの話になる。もう歳が歳だっていうことなので健康の話をしていたのだが、ふと、その地主さんはどこの病院にかかっているのか気になり尋ねてみた。お金持ちなので大きな有名な病院なのかと思っていたところ、なんと近くにある小さなクリニックなのだという。歳をとると移動が大変で、近くにある病院は体力的にもコンビニエンスなのだとか。

この土地にずっと住み続けておられた方なので、いろいろなことに詳しいと思い、このへんで評判のいいお医者さんについて尋ねてみた。そうするとあまりそういうのはないが駅前の皮膚科の先生は腕がいいと。ほくろ取るのはすごくうまいという話をされていた。実はこの皮膚科の先生の腕のいいという評判を聞いたのは2回目なのでこの先生は器用なのだろう。

あの歯医者の先代はとても腕がよかったとか、ちょっと情報が古いかもしれないが面白い話をたくさん聞けた。情報が集まる仕事をなされている地元の大先輩に聞けばいろいろな話が聞けて、良い腕を持ったお医者さんの情報もそこにあったんだと思った。

かかりつけのお医者さんの大切さ

その大先輩が強調されてたのはやっぱり近所のクリニックの話で、私も最近は家に近い病院でいろいろと済ませていることが多い。かかりつけのお医者さんという考え方だ。
例えば、あなたが女の子のいるお酒を飲むところに行ったとしよう。毎回違うところに行くと、そこの女の子に毎回自己紹介をすることになる。いつもの馴染みのところなら、だんだん人柄や背景もわかってくるので深い話もできるようになる、ということと同じだと思う。

お医者さんは患者のことを忘れていてもカルテを見れば大体思い出すことができる。そのうち体のちょっとした異変にも気づくことがある、ということがかかりつけ医師の狙いであり大切なところなのだ。そして小さな病院は意外とつながっていることが多い。地域医療として相互に紹介するというシステムもある。それは大きな一つの総合病院のような感じさえする。

お歳を召した方にとっては家の近所というメリットはやはり大きいと思った。小さな病院では待ち時間も少ないし、病院内にいるすべての患者に看護婦さんの目が届いている感じがするのがいい。例えば、尿を取りに便所に入ったまま出てこない患者さんがいるならば、すぐに発見することができるだろう。

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まとめ

結論としては、かかりつけの病院を作ることは大切だということと、各病院ではそれほど変わらない医療を提供していると考えられるので、どこの病院を選んでもそれほど変化はないということだろう。だったら、近所の医療施設を活用したらどうか、ということだ。

それでも評判のいい病院に通いたかったら、その地元に住む老人に聞いてみるのがいい。これは一つのコミュニケーション手段で、話題がないときなどに「どこか評判のいいお医者さんいませんかね?」などと聞いてみると意外に話が弾んだりすることがある。

お歳を召した方との健康談義は意外と盛り上がるのだ。