ガルパン

ラノベという小説のジャンルをご存じだろうか?
ジャンルというかなんというか、ライトノベルという言葉の略語なんだけど、今のアニメのような物語を小説にした比較的自由な文体で書かれた小説で、秋葉原などの文化とも非常に関係が深いような小説なのである、という解釈で合っているだろうか。

<スポンサーリンク>

その内容なのだが、最近、その傾向が指摘されていたようで、努力をしない主人公に降って沸いたような幸運が降り注ぐ、みたいな展開が多いのだとか。
何かを克服するために努力をして力を付けてやっつけるみたいな展開はもう流行らないのだろう。例えば、カンフー映画で有名なジャッキーチェンの酔拳は、屈辱を受けた主人公がカンフーの師匠に出会い、トレーニングを積んで最後にはその屈辱を跳ね返し、それで見ている人にカタルシスをもたらしたりする。
シルベスタースタローンのロッキーもそうだ。トレーニングを積んで努力して相手に打ち勝つというストーリーだ。トレーニングのBGMに流れるロッキーのテーマはその場面とともに印象的だ。最後に相手に勝つシーンよりストイックなトレーニングのシーンを名シーンに上げる人も多いだろうし、そんなロッキーに憧れたりした。
しかし、今はもうそんな時代じゃないのかもしれない。
ただ、ラノベの読者層がそのようなスポコン的なものを望むような人たちじゃないということなのかもしれないが。

間違えないでほしいが、昔はよかった的な話をしているんじゃなく、今現在はそのような傾向があるといった話をしているだけだ。



最近”戦車道”で有名?なガルパン(ガールズ&パンツァー)と女子高生雀士の咲-Saki-の二本の物語を見る機会があったので見たのだが、なんだか類似点が多くこれが現代のヒットの法則なのかな?なんて思ったのでちょっと書いてまとめてみようと思った。

どちらも女子高生が主人公で、部活で何人かのグループでの活動が主体となっている。しかも新入生だ。
人が集まること自体がもうすでに面白いと感じる。それは黒沢明の「七人の侍」を持ち出すまでもなく、科学戦隊ものを持ち出すわけでもなく、それぞれのキャラの書き分けですごく面白いワクワクしたものになるという期待にあふれる。
咲もガルパンも部員のキャラが立っていて面白く感じた。それは対戦相手の学校の部員たちにも言えることである。キャラが多すぎると三年奇面組みたいに訳が分からなくなりがちだが、程よい感じで、すべてのキャラをそしてその関係を楽しめる感じだったと思う。

どちらも主人公はその道の名門というか英才教育を受けていて、才能にあふれているが、本人はその才能をあまりよく思ってなく、最初はその才能を発揮できないでいる。しかも同じ能力を持った姉の存在があり、憧れとライバル感を持っていて、いつか対戦することを夢に見ているという感じだ。全国大会などのトーナメントの最後の最後で対戦するということになるようになると思う。

才能や技術を努力を積んでトレーニングして勝ち取るというよりも、物語が始まった時からすでに能力を持っているが、精神的な理由でそれを発揮できないでいる、というような描写なのだ。
昔のスポ根チックなものが体力で克服して次にステップアップしようとするのに対し、今のものはメンタルを克服しようとするというのがなんか興味深い。

そして、戦車と女子高生、麻雀と女子高生というギャップだ。
このへんは「萌え」という言葉が生まれたころから言われている「ギャップ萌え」の部類だろう。やわらかいものと硬派なもの、おっさん臭いものというギャップだ。
ガルパンは戦車にグループで乗って、対戦相手と戦略を練り戦うというものだが、この時の戦車のキャタピラのきしむ音などの機械音がかなりリアルで、映画館など音響の良いところで鑑賞すると非常に迫力があるのではないかと思うし、それがこの作品の魅力の一部になっていると思う。
咲のほうは、主人公の得意とする上りが嶺上開花という普段ではなかなか出ない上がりで、これはこれで面白いのだが、麻雀のツモり上がりの時の牌の持って来かたというかツモりかたというか、が非常にカッコよく、これを女子高生がやるっていうのが面白い。闘牌のシーンもかなり迫力があり見ごたえがあるのものである。



だいたいこんなものだろうか?
本当によく似ていると思う。

これらをおさえておけばヒットする作品が作れるのだろうか?それほど世の中は甘いものではないのだろうか?
次にまた流行る作品があったらチェックしてみたい。

予定ではユーフォニアムとかなんとかいうやつだ。
まったく先入観がない状態で見ることになるので楽しみだが、そんなに時間が取れるだろうか、この年度末・・・

<スポンサーリンク>